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大阪家庭裁判所 昭和52年(家)1571号 審判

申立人 吉田恵子

事件本人 中村英子

主文

本件申立を却下する。

理由

1  申立の要旨

事件本人は父中村健の親権に服していたところ、健は昭和五一年一一月九日死亡し、父の妻中村礼子申立に係る後見人選任事件について、実母である申立人は担当調査官からの調査照会書をうけて親権者の死亡を知つたが、この際実母である申立人において事件本人を引取り養育監護することが事件本人にとつて利益であると考えるので事件本人の親権者を申立人に変更する旨の審判を求める。

2  事件の経緯

事件本人の親権者父中村健は昭和五一年一一月八日交通事故により重傷を負つた結果、翌一一月九日死亡した。事件本人の右交通事故による保険金受領手続中、事件本人の親権を行使する者がないことが判明したので、父の妻中村礼子は昭和五二年二月一日当裁判所に対して後見人選任等の申立をなし、当庁昭和五二年(家)第二五四号事件等として当裁判所に係属した。

当裁判所は上記事件につき家庭裁判所調査官に対する包括調査に付したところ、担当調査官の調査の過程で事件本人の実母の所在が判明し、実母である申立人に対して昭和五二年四月三〇日付で調査の為の照会書を発したところ、申立人はこれにより始めて上記健の死亡を知り、また事件本人の住所の近所で聞き合わせて、健の母も死亡していることや、事件本人において上記中村礼子が実の母でないことを知つているらしきことを知り、調査官からの昭和五二年五月二三日付の上記同旨の照会書とに対して、昭和五二年五月二一日付及び同年五月二九日付で中村礼子が事件本人の後見人になることに反対の意向を記すと共に、事件本人の祖母が死んだことが判つた以上は事件本人を生みの親の手許に引きとつて育てたい、又自分が親権者になりたい旨の意思を表明した。その後昭和五二年六月六日付で本件親権者変更の審判申立をするに至り、本件もまた家庭裁判所調査官に対し包括調査の命令がなされている。

爾来担当調査官において、各種の調査が続けられると共に、担当調査官は本件申立人と上記後見人選任申立事件の申立人である中村礼子との合同面接を三回にわたり実施したが、両人間の意見の調整ができないまま時日は経過し、申立当初一三歳八月であつた事件本人は昭和五三年五月末一五歳に達したので、担当調査官において事件本人の意向をも調査した。その後当裁判所は本件申立人吉田恵子、中村礼子並びに事件本人中村英子を各審問した。

3  審理の結果当裁判所が認定した事実

申立人と事件本人の父中村健との夫婦仲は昭和四二年夏頃から急速に悪化し、申立人は実家に帰つたが、一度は再び同居した。しかし同年一二月末再び申立人は事件本人を連れて実家に帰つたところ、健は事件本人を車でつれ戻し、これを申立人がまた連れ帰えるということが再三あり、結局申立人はその兄の忠告をきいてその後事件本人や健と交渉を断ち、アパートで独り生活をするようになり、そのうち職場の上司である田口信一と恋愛関係に入り、昭和四五年三月一二日真由美を出産したので健に打明けて正式に離婚しようと思い戸籍を取り寄せたところ、既に昭和四四年二月二五日事件本人の親権者を父と定めて協議離婚の届出がなされていることを知り驚いたが、結局この協議離婚を追認した。ところで申立人は真由美の出生後一年で田口との交渉はなくなり、その後は二、三の職場を変え現在は○○市の職員として勤務し、月手取約一三万円を得て真由美と二人で生活しているが、多少の貯えもありその生活は安定してきているので申立人は事件本人が現在血縁のない礼子や登志子と暮すよりも、血のつながつた自分や真由美と暮すことが幸福であることを確信して、事件本人を引取ることが可能になれば引越しもして受入れ態勢を考えたいと思つている。

一方健は昭和四四年八月二〇日南礼子と婚姻届出をし、礼子の子登志子(昭和三三年一一月一六日生)と同日養子縁組をしている。健は礼子に養子縁組の届出もしておいたと告げているが、礼子は自分が中村の籍に入ることで事件本人と自分との間にも自動的に親子の関係が生ずるものと誤解し、健の死亡後始めて事件本人との間に法律上親子の関係がないことを知つたものである。事件本人は健と礼子の結婚式に参列したので、うすうすながら自分と礼子との間に真実の母子関係がないらしきことを知つていたが、気にすることなく、礼子をママと呼んで現在まで良好な親子関係が形成されてきていると共に、登志子を姉と信じこの姉妹関係も良好に形成されている。

当初礼子は父の不慮の死につづき、転宅、転校が重なり思春期の少女にとつてたださえむつかしい時期に、真実の親子関係について打明けることによつて精神的動揺をきたすことを恐れ、本件並びに関連する諸申立について打明けることをためらつてきたが、事件本人が満一五歳に達するに至り、やむなく事件本人に打明けたところ、事件本人は真実の母子関係のないことをおぼろげには知つていたもののショックをうけ動揺はさけがたかつたが、事件本人は、生みの母が是非いつしよに暮そうといつても、自分はやはり今の母と養子縁組をしてでも現在の生活を続けていきたい旨の意思表示をした。

4  当裁判所の判断

上記認定事実その他本件審理の結果に基いて考えるに、申立人が事件本人の生母として事件本人に対し出来うる限りの愛育の手を差しのべ今後の監護養育に当りたいと冀う心情は諒とするに足るものであり、事件本人に対する愛情の深いものがあることは否定し難いところである。しかしながら、事件本人が申立人の手許を離れてから既に九年余に及び、その間申立人は事件本人とは何らの交渉もなく、いま申立人において事件本人を引取り監護養育に当るとすれば、全く最初から新しい環境作りをなし、母子関係を形成し直さねばならず、心理的にも肉体的にも不安定期にある事件本人に及ぼす影響は大きく、必ずしも事件本人の福祉に適合した結果を招来するとは断じ難い。それに比し、中村礼子は、事件本人を五歳頃より父の健とともに養育してきており、右健と結婚すると同時に事件本人と親子となつたと考えていた程であつて、実の母子と変らぬ安定した関係が形成されているものと認められ、礼子の子であり健と養子縁組をした登志子も事件本人を実の妹の如く扱つていて姉妹関係も良好である。そして礼子は事件本人に対し今日まで母親としての愛情を注いできたし、また今後も変ることなき愛情をもつて養育して行きたいと願つている。事件本人と礼子との間には心情面においてもその他の面についても特段に問題とすべき点は見当らない。

ところで、申立人及び礼子は、事件本人が満一五歳に達した現在においては、両者いずれが事件本人の監護養育に当るべきかは事件本人自身の意思の赴くところに委ねてもよい旨の意向を示しているところ、上記の如く事件本人は現在の生活状態、被監護養育の状態を望んでいるものである。

その他事件本人をめぐる諸般の事情を参酌すると、事件本人と礼子との間における安定した生活関係(今後礼子が事件本人の後見人となるか、ないしは事件本人と礼子との養子縁組が実現し、適法な監護養育関係が形成される見込みが大である。)を変えて事件本人を申立人の手に委ねるのは、申立人の事件本人に対する愛情と養育に対する熱意を考慮するとしてもなお躊躇を感ずるのであり、必ずしも事件本人の福祉に適合するものとは思料されないので、申立人の本件申立は理由がないものと認め、主文のとおり審判する。

(なお礼子は事件本人が申立人と面接することを否定しているものではない。事件本人と申立人並びに礼子との間に円満な人間関係が形成されるならば、かかる面接交渉は事件本人の福祉の増大に寄与することも考えられるから、上記三者の協議の上で申立人と事件本人の面接交渉が今後円滑になされることを期待するものである。)

(家事審判官 諸富吉嗣)

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